ホームシック | Fat Baby

ホームシック

失ってみて初めて大切さがわかる。。。
という言葉をよく聞くが、私は「離れてみて初めて故郷のよさがわかる…」という気持ちを今、味わっている。

日本最南端の県、トロピカルでちゃんぷるーな島、沖縄。
高校生の頃は「自立」であったり「都会」という言葉にあこがれて強烈にその島から飛び出したかった。
17歳から学校を言い訳に、沖縄を離れ、内地(うちなーんちゅは本土の事をこう呼ぶ)でしばらく暮らしたが、電車、地下鉄、雪、標準語、ブランド。

私を取り囲む全てのものが新しく興味深いものだった。色々な事をどんどん吸収し、何の不自由もなく学生生活+バイトを4年程をエンジョイした後、そこで就職する気もなかった私は当然のように両親により沖縄に戻された。(戻ってから色々なエピソードがあるがそのお話はまたいつか紹介させて頂くとしよう。)
カエリタクナイ… 
故郷に帰る=友達に会える、実家でママ達に甘えられる、という思いが約16%また、退屈な田舎で刺激のない平凡な生活を送るのか、という思いが残りの84%をしめつつ、泣く泣く私は沖縄に帰った。

始めこそ、退屈でしょうがなかったものの次第に故郷での生活はいろんな事に無理がない為、不満もなく、いつか再脱出してやるという思いは薄れていった。
そうこうしている内に、彼なども出来(今の旦那)、思いがけずに私はまた沖縄を離れなければならなくなった。ミリタリーである旦那のいわゆる転勤のようなものである。

住むのはアメリカの東海岸。田舎ではあるが海も近いし1~2時間程運転すれば大都市にでる。悪くはない…が私はある病気にかかってしまった。そうホームシックという病である ハイビスカスの写真を壁紙にしてみたり、BEGINを聴き、涙したり。夢でかちゃーしーを踊っていた事も …

堤防で食べるタコライス、寒い日のそば、海のにおい。道路中央分離帯のやしの木。近い空。お母さんのごーやーちゃんぷるー。

ニチジョウ…

常にそこにあって、当たり前だとおもっていたもの達が恋しい。


学生の頃、初めて沖縄を離れたばかりの時、家族や慣れきった環境が恋しくて涙した事もあったけれど、今抱えているホームシックはあの時よりも重症のような気がする。
それはきっと、学生の頃感謝するという事や物事の存在する意味について立ち止まって考えたりする事をしなかったからだろう。

故郷を離れ、子を持ち、今更ながら学んだ事。

「私は一人では生きていない」
 
たくさんの友達に支えられ、私を想う家族がいつもそこにて、おいしい食物達が心と体に栄養を与え、常に自然の恵みが私に元気や感動を与えてくれていた。

ホームシックな理由、強烈に故郷に帰りたいという想い。
それはきっと私を生かしている全てに感謝を現したいからかもしれない

私の家族に友達に、空気や海に、そして… 沖縄に…

早く伝えたい 

たくさんのアリガトウ